鹿児島牟礼ヶ岡山頂に祭ってある牧神様には西郷どんも詣っていた?

西郷どんも詣っていた、鹿児島牟礼ヶ岡山頂に祭ってある牧神様について、歴史的背景を含め、鹿児島に残った西郷家の伝承をしてきた唯一の親族が、解説しています。


西郷どんも詣っていた牧神様に行ってみました


岩崎先生、杉浦先生、岡積先生、四元先生の元で、敬天舎行事として、吉野牟礼岡の山頂に聳え立つ牧神様の巨石に牧神の詣り(マッガンサァ メイ)で海山幸を奉納し、子供達を連れて、お詣りしていました。

最高の晴天の中、天を敬う事が出来ました。




牟礼ヶ岡山頂に祭ってある牧神様と西郷どんの歴史


西郷南洲翁が安政年間に島津斉彬公に見出だされ、幕府の状況が井伊大老に変わり、薩摩では主君の島津斉彬公が熱中症から8日後に食中毒死という怪しい死因で急逝し、落胆、夢希望を失った西郷南洲翁が自殺まで考え、幕府からの追って避け、かこまった京都清水寺の月照和尚と龍ヶ水大崎ヶ鼻沖で入水し、和尚は水死、西郷南洲翁は息を吹替えし、結果、奄美に潜居を命ぜられます。

この海は、海岸に西郷家が仕えてる日置島津家の祖になる島津金吾歳久公が石で切腹し、亡くなった場所の前海で、この二ヶ所は、なんとこの牧神様を祀る吉野牟礼岡の真下に位置し、吉野寺山開墾社の下にも辺り、薩摩の鶴丸城の北東になる鬼門の方角でした。

偶々偶然では無く意味が有る場所で日置の殿様が自決し、西郷南洲翁が入水し、開墾をしたのも、実は全て、鬼門を守る為に自ら海岸や海面で命を掛け、山頂を開発して守っていました。

その延長線上には龍門の滝、鹿児島神宮、霧島神宮も同じ意味で島津家が築いていきます。

全て鬼門を守る為に、高千穂山頂には天ノ逆矛までさして、現代で言えば鬼滅の刃です。

これもそれも全て神が牧場に下り立った牧神様伝説に繋がる重要な神聖な場所でした。

西郷南洲翁が、薩摩の武士達が、我々の先輩方々が、どのような想いて詣っていたのか、天を仰ぎ敬い、生き物全て、民や人を愛し養う神々の世界観を感じられる場所です。鹿児島市内に、このような神聖な場所があり、先祖達が詣っていた文化が、誰も知らない文化や聖域と成ってます。10人程、すれ違い、頂上て一緒に成りましたが、歴史的な背景や伝統文化までは皆さん知らずにピクニックに来ていました。

皆さんも自ら詣って見て感じて体感して下さい。