若松さんについてのお話

約20年~15年くらい以前ですが、私は現職の自衛官をしながら、土日祝に初代一期の鹿児島市観光語り部として城山展望台と西郷隆盛銅像前を担当するA班の副班長でした。

班長は○○さんで、会長は寺田◎◎さんでした。

もう記憶にある方々も減り、一番若手で、自衛隊の仕事以外の休日は、伝統行事に明け暮れ、自衛隊部隊でも役職に就いてました。

仕事は日本国の為に。

ボランティア奉仕活動では鹿児島県の為に、
鹿児島市の為に、
校区の為に、
町内会の為に、
出身小学校・中学校の為にと常に何かをしていました。

その為に家族奉公が愚かに成ってたのだけが心残りでした。

初日の出を拝む会、
水師営平和会談記念日、
学舎連合新年交歓会、
町内会役員としての町内会活動行事、
町内会あいご会長としての会活動行事、
中学校全体同窓会長としての入学式・運動会・同窓会入会式・卒業式・同窓会、
日新寺詣り、
心岳寺詣り、
妙円伝統詣り、
牧神様詣り、
西郷どんの遠行、
南洲神社春秋例大祭、
曽我どんの傘焼き、赤穂義士輪読会、
薩摩義士慰霊祭、
敬天舎各種行事、
錦江湾横断遠泳実行役員行事、
小学校同窓会幹事、
破魔投げ保存会副会長各種大会、
その他要望が有れば何でもしました。

近くの各団地の夏祭り支援や、
出店等々も沢山しました。

特に観光語り部では、班長が言い出しっぺだった銅像前広場のツンも17年前の話が実って現在の銅像前に西郷どんの犬が居ます。

また、語り部会長の◎◎さんが言い出しっぺだった鶴丸城御楼門もその頃で、17年掛けて一昨年前に完成し現在に繋がってます。

◎◎会長の夢は遺言でしたから、天国から今の御楼門の姿を見ている事でしょう。

天下国家の為にとは言え、
実は自分の徳を積み重ねる修行でしたから、
全く疲れや馴れ合いは無く、
楽しくイキイキと頑張ってきた結果が、
現在の私なんです。

西郷南洲翁の生き様に学び、
僅かな微かな喜びと感謝して貰える、
逆に感謝をしていました。

誰も知らない世界中の家族家庭の人々が、
僅かな幸せ、
平和、安心、安全、
やっとやっと食べて家族が暮らせる喜びと笑顔を見るのが好きだった西郷南洲翁。

何も贅沢な暮らしや権力や財力や名声等々は何一つ欲しがらなかったからこそ、
数万人の方々が家族や関係者、
夢希望も西郷南洲翁に託し命を預け、笑って喜んでお供をしました。

私などの小さな努力等々は微力で、
まだ私に命を預けるような人も全く無く、
逆に邪魔で厄介者と言う方には、それこそ私の望む所で、
天下に始末に困る程の西郷どんに少しだけ近付いた気にさせます。

西郷南洲翁が欲しがらなかった物を欲しがる方々には、
私は始末に困るのでしょう。

これからも正道一直線。

人に感謝され、徳を学ばせて貰った感謝を「ありがとうございます」と言われたら、
「こちらこそ、ありがとうございます」と言える人を目指します。

これまでの先祖から、父母から、家族から、先人先輩同僚後輩から、地域社会から、自衛隊から、観光客から、学ばせて貰った集大成を60歳を過ぎ、灰に成るまで頑張ります。

本日午前中に中学校同窓会入会式説明講話を終え、自治会館でのマイナス赤字確定申告を済ませ、ホット一息です。

飲みに行きたいなぁ。

また、明日からは幾つかの申請事等々山積みですが、頑張ります。

併せて薩摩甲冑隊長として、甲冑隊の仲間達と、堂々とした薩摩の伝統を引き継ぐ甲冑隊として活動し、伝統の継承顕彰をして参ります。

まだまだ隊員数が少ない為に、家族や仕事を持つ一人一人に負担がかかり、大変な思いをさせてますから、是非、「我こそは」と言う老若男女を募集しています。