戦争や平和は無料ではないというお話

平和は無料ではない。


西郷南洲翁は21~22歳の頃、

吉野のお狩場での狩猟と出火で、

奄美~琉球~台湾に島流しから密偵として役割を果たし帰還後、

石の上で2ヶ月反省し座禅をくみ、

所帯をかため、

家督を継ぎます。

あの鹿児島で誰からも愛され好かれた牛島満少将が昭和19年に沖縄の飛行場でタラップを降りた時の地元の歓迎振り、

日本復帰の街頭での喜びがありました。

この写真は当時の真実です。

日本が舵を切った5.15事件に関係した西郷南洲翁崇敬の敬天舎、

沖縄復帰の5.15。

西郷隆盛銅像から国道58号線が沖縄まで。

私が昭和51年に少年自衛隊に入隊した時の鹿児島県人会に、まだ県人会の無い沖縄出身者も鹿児島県人会でした。

琉球王朝期間の倍以上を薩摩として王朝を保ちながら、

徳川幕府の命令で1609年に統治し、

西郷南洲翁の明治維新により近代日本に変わり、

明治4年の廃藩置県で自由と成りましたが、

また権力財力好きな方々により地主や小作制度となり、

明治、大正、昭和の戦争に日本国民として出征し敗戦、

アメリカ統治で50年前に日本復帰しました。

現在は日本一移住したい、行きたい県に、

米軍の戦争休養ハワイ化政策でリゾートとなり、

数々の芸能人や有名人を生み続けています。

基地問題は全国に分配、負担の軽減は不可欠ですが、

全て撤退されたら困るのも現実です。

米兵の戦争帰還者や基地訓練駐屯部隊の事故等々も多いですが、

日本人の起こす事件は、もっともっと多いです。

罪は罪、法で裁き、国益、県益、個益、平和、安全、安心を強制される時代ではありません。

利点欠点を話し合い、歩み寄れる関係を西郷南洲翁も願ってます。


先ずは、この写真を嫌々、国旗を振ってる昭和47年の写真に見えるか考えてみて下さい。

そして、沖縄だけでなく、

外国からの圧力や武力行使、侵略、植民地問題、

平和の維持とは何か真剣に、

戦争と平和を考える日でもあります。

そうでなければ、沖縄戦で本土防衛の礎として、戦艦大和や特攻、等々や県民の防衛て亡くなった方々に、説明出来ません。


戦争と平和

現在も世界中で


沖縄も日本の敗戦後に朝鮮が南北に別れ朝鮮戦争休戦中で国は韓国と北朝鮮。の米軍基地が関係。


ベトナムも南北に別れベトナム戦争。

その犠牲者は

日付: 1955年11月1日 – 1975年4月30日

推定戦死者 285,000 行方不明者 1,490,000 民間人死者 1,581,000: 推定戦死者 1,177,000; 行方不明者 604,000; 民間人死者 3,000,000

その帰還者、休養休暇療養に沖縄が使われた。ハワイやグアムが遠いから、沖縄をバカンスリゾートに。


北海道は終戦間際に不可侵条約を破り武力行使、シベリア抑留、北方領土は未だに返還されず植民地。


奄美返還もある。


ミャンマーやウクライナ等々、戦争と平和、平和は無料ではない。が戦争や植民地支配の代償は、もっと高くつく。


平和を考える日に成ります。