西郷さんが広めた桜木の桜花の家紋について考察しています
花は桜木の桜花の家紋が何故少なく、何故、西郷さんが一番広めたのか、桜や菊の家紋について、考察を深めまとめています。
日本の国花に指定された、桜と菊についての歴史のお話
散り際の美しさゆえに敬遠された紋
桜は日本人に最も親しまれる花であり、古来より、その散り際の儚さゆえに諸行無常の感覚にたとえられてきました。
桜の由来について
名前の由来には、多数の説が存在しています。
「咲く」に複数を示す「ら」を付けたもの、春に訪れる「稲(さ)」の神が憑依する「座(くら)」というもの、富士の頂から花を咲かせた神、木花之開耶姫(このはなのさくやびめ)の「さくや」から転じたものなどが有名です。
コノハナサクヤヒメ伝説は鹿児島薩摩にも沢山あります。桜島の由来や神話ては欠かせない姫です。
親しまれるがゆえに、由来もたくさん残っているのでしょう。
奈良時代までは「花」といえば「梅」を指していましたが、
時代を経るに連れて、桜の人気が高まっていきます。
現在では菊と桜が日本の国花に指定され、百円硬貨の表にもデザインされています。
武家武士藩として桜を登用した西郷さんについて
菊と桜、まさしく西郷南洲翁の先祖の菊池一族、菊池一族の先祖の南朝方、後醍醐天皇の奈良の都の吉野桜です。
文様としても公家・武家ともに数多くのものに使用されてきました。衣装や日用品、武具に至るまで、さまざまなものに施されており、その種類は百種を超えるといわれています。
ただし、武家武士藩として桜を登用した一族は、他の花に比べると極端に少なく、明治に成って数多く採用されます。
全て西郷南洲翁絡みの関係に登用されてます。
初代陸軍大将で軍隊と警察と自衛隊の桜記章、
学校制度の学制を実施した尋常小学(現在の小学校と中学校)記章、
西郷南洲翁が全国招魂社と東京招魂社を創り、後の護国神社と靖国神社家紋(菊を護る桜)、
自ら相撲をとり、明治天皇と相撲をしたり、大相撲巡業見学やナオヨンという相撲取りを狩には同行させていた相撲好きな西郷さんが登用する大相撲協会家紋、
等々、桜は西郷南洲翁の武士道の生き様、死に様にピッタリでした。
南朝方を意味する菊と桜は嫌われていた?
咲くも桜、散るも桜。
葉っぱより先に花が咲き、咲き誇り、パッと散る桜、そして葉っぱが芽を出し生い茂る桜の寿命は永く、子孫繁栄します。
くしくも奈良の後醍醐天皇から南北朝が別れ、京都の北朝天皇が主軸で幕末の孝明天皇までで、南朝方を意味する菊と桜は、反逆謀叛の汚名に繋がるのを恐れ、大名武家武士が好んで登用しませんてました。
西郷南洲翁が自らの西郷家家紋の菊の葉の抱き菊家紋から菊を明治天皇に捧げ、三枚葉の家紋に一代だけ変えました。
皇室の菊家紋
このような経緯も表向きには語れず話せず書物にも書けず現在、皆さんは桜の花見を楽しんでいます。
桜には命を掛けてきた方々の血脈が流れてます。
桜を汚さないよう、花見を楽しんでください。間違っても政治権力の材料にしないで下さい。
梅は中国からですが、桜は日本からです。
世界中の方々が、桜花の下で家族団欒の平和と安心安全を願い、笑顔で花見出来る事を祈ります。
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