k10カフェの若松さんの過去についてのお話 二弾

常に演習訓練でカバーしてきた。

隊員との喧嘩は数百回、上官との喧嘩は数十回、時には、上官侮辱罪とか、(私物)命令義務違反罪とか無い罪にまで問われ、終いには北熊本に2年間単身赴任をし、その間に妻子との大切な時期を失い、反省の意味でもタバコを1年止め、飲酒は2年間丸々止めた。元の部隊に戻された時は、異動は間違いだったとまで当時の人事幹部に言われ、一番大切な娘達の思春期の反抗期を妻に押し付ける結果となった。しかし、熊本では、甲冑ボランティアで熊本城に2年間で80回開門から閉門までおり、観光客に無料で兜と陣羽織を着用させた人数は約三万人、稚児鎧で600人着せた。私のボランティアまで付くようになり、田原坂資料館には約50回出入り自由、慰霊祭には甲冑で立った。鹿児島からも西郷家曾孫を呼び毎年継続案内がくる。菊池には約100回、甲冑ボランティアで毎年交流がある。熊本小島のウィークリーは第一回から協力し現在も交流、川尻の薩軍慰霊祭にも毎年交流、熊本護国神社は出入り寝泊まりまで出来る交流、その他、人吉お城祭も毎年交流案内があり、玉名、国衆祭、薩摩街道ウォーク、太刀洗大野原合戦、福岡の甲冑関係祭支援や、健軍義烈空挺慰霊祭、宮崎川南空挺慰霊祭等々、数多くのボランティアを休日返上でやり遂げ、鹿児島に帰ってからは、2年前以上にボランティアに明け暮れ、家族は別居。

伊丹の自衛隊時代は、特別演習の記念で祝賀演習場バーベキュー慰労会での大暴れで、演習での不満が全隊員総不満で滅茶苦茶どこも大暴れだったのを最後を閉めたのが私で、大暴れし、血塗れで、ロープでぐるぐる巻きにされ、部隊に連れ戻され、ベッドに素っ裸でぐるぐる巻きもあった。反省の罪が、2年間演習訓練参加を全て外され、事務室勤務の残留が言い渡された事もあった。人事会計以外の事務業務は全てやった。特技(モス)班長、小隊陸曹、中隊訓練陸曹、通信班長、隊付陸曹、先任陸曹等々。

部隊長評価は、バラバラで、断トツのトップか要らないか。

常に一番目立ち、常に自分ネタ作り。話題の宝庫と言われ、何かに常に夢中に我武者羅に成っていた自分。

自衛隊では自分の事を自分と言う。


自衛官であれば、皆さん、このような体験経験を永年してきており、幹部に成れば役職があがる度に、責任が重くなるわけですから、今までのOBや、現職が全国で何十万人、小銃や装備品を扱うるか。民間の方々は、国に某国のような事が起きれば、自衛隊だけが戦ってくれると思っており、残念です。現地で戦う防衛軍は好きで戦ってるので無いし、闇雲に戦争反対と集会を鹿児島でしても、全ての人々が戦争反対の中で戦争反対をコールされても、届きません。某国に平和を、安全を、安心をなら解ります。

県民国民の後押しがなく、喜ばれない戦いに、自衛隊自衛官も出たくありません。今の日本に某国ような現実を突きつけられたら、どうするのでしょうか。武力進行侵略してくる赤国に戦争反対を訴え集会しても、ミサイルや重火器、小火器、略奪、弾圧、マスコミ統制、情報統制、通信網遮断、強姦、粛清、拷問、捕虜、強制労働、不明な事故死等々、過去の戦争経験体験している我が国も、今から始まる某国の現状は打破出来ません。早く国連憲章を見直し、世界赤十字等々が、早急に対応出来る世界にしなければ、命令に絶対服従の軍隊軍人兵隊パルチザンも敵味方やってられません。資源の無い日本が如何に近隣諸国と平和的に解決出来るのか、生き残れるか、南西からは●国が、列島横からは弾道ミサイルや拉致の▼国が、北からは▲国が不可侵で、常に脅かし、隙を伺い、武力進行をけしかけています。当事国が命を掛けて犠牲を払って守る気が無い国に、同盟国も、最初から命を掛けてくれません。

無駄に売名や選挙や寄付金目当て等々で反対を呼び掛けでなく、祈りの宗教ではなく、老若男女、今、議論しなければ、将来未来に、子供達に、子孫に、今の平和と安全安心を申し送れるのか。

平和、自由、安全、安心、生活は、無料無傷無関係の三無では無い事を、真剣に議論する時ではないですか。祈り拝んでも、神々もコロナでは救世主としては現れず、人的な進行侵略は、まだ止める防げる救い道があるはずです。世界中の人々が本当に望む平和を、一部の権力者が権力財力名声の為に命や治療、環境汚染、森林海洋破壊、生物抹殺、歴史的建造物破壊、宗教弾圧、個人財産消失等々、悪い事だらけの破壊殺戮を人類の有識者の知恵で解決出来ないのか、数千年何一つ変わらない侵略の歴史の繰り返し。あれだけ日頃は環境汚染、地球温暖化、絶滅危惧、等々の議論は全く通用しない武力は、一瞬でボタンや引き金で簡単に全てを奪います。勝てば官軍、勝者の捏造で巻く引きされます。


西郷南洲翁も誰も止めれず防げなかった西南戦争の官軍武力進行、

東郷平八郎元帥も止めれず防げなかった日露海戦、日露戦争、

山本五十六大将も止めれず防げなかった世界大戦、

始まれば誰にも止めれず防げません。

過去の戦争の先人先輩方々が命を掛けて残した教訓を、何時の世でも国家元首は、責任も反省謝罪無く、生き延び、捏造までして、歴史を摩り替えます。安全地帯で作戦を練る官僚軍人政治家有識者と、現地現物や武力行使してくる現場指揮官とでは、見識が違い、戦場には軍人兵隊民間人の明日は無い生死が掛かっており、

安全地帯の官僚軍人政治家有識者には明日がある失敗も遣り直しも、逃げ道も、避難先も、またそうした武力とは別に、次回もある、選挙や五輪、スポーツ、商売、布教等々には生死は掛かっていません。

あと4日で田原坂陥落、毎日、薩軍兵士が百人ずつ戦死した勘定になる僅か17日昼夜で、全体の222日の三分の一が無くなりました。南洲墓地の三分の一は田原坂です。鹿児島県民の三分の一の方々の先祖が、明治10年、政府元首官僚軍人政治家商売人により、いきなり、僅かな幸せや、暖かい家庭家族の絆を引き裂き、政府トップの仕掛けた罠の三回の挑発策略謀略で全国から軍隊を武力進行させ、身内同志を戦わせ、一石五鳥の漁夫の利を得て、何一つ成し得て無い政府トップの者が、近代日本の礎を築いた等々と捏造し、子孫が未だに政権にふんぞり返り権力財力を蓄え、熊本宮崎鹿児島の戦場で血肉を分けた身内を戦わせながら、上野の山で、外国相手に社交ダンスを踊り、ワイン片手にステーキを食べ、軍艦大砲武器弾薬の契約交渉していた方々が浮かびます。