k10カフェの若松さんの過去についてのお話 一弾

愛する家族や故郷や国を守る為に必要な組織。祈っても頼んでも、武力進行は止められず、大切な者を簡単に奪っていく。


映画「プライベート ライアン」を見ながら、

自分の人生は、

15歳から38年間、

64式小銃を持って約2000回程の演習に参加し、

火薬の硝煙まみれに、空包や射撃実弾を詰め、

豪を掘り、天幕や、豪や、シェルター、荷台、廠舎に三分の一の年数を費やし、

常に敵を意識し、

訓練してきた。

実弾や鮮血や死と直面する実戦とは違うが、

模擬訓練とはいえ、実戦を想定しての演習訓練であった。

豪雨や台風の泥塗れの演習が半分、

炎天下の夏場の演習、

豪雪や凍り付く中での演習等々に明け暮れていた。

自分かま15歳入隊で一番最初に覚える

認番(認識番号)

G0953○●◎は

自分が一生忘れない番号。

二つと無い番号です。

自衛隊時代の自分を知る方々は知ってます。

人より多く演習場に行きたがり、

生徒出身で

体力検定一級バッヂを10年着け、

師団通信大隊ナンバー中隊で、

野外有線通信特技で、

20歳でレンジャーバッヂ、

25歳で空挺バッヂ、

40歳過ぎから射撃記章特急バッヂを着けていたことを。

服務違反は隊内では数知れず、

演習訓練では、

部隊ピカ一の優秀隊員表彰と

職務遂行褒章は

常に総ナメ。

バカが付く程の

演習バカ、

訓練バカ、

特技バカ、

部隊車両走行記録、

部隊演習参加記録、

特技競技会等々は

断トツのバカでした。

人の嫌がる演習訓練、

レンジャー、

空挺、

射撃が

大好きなバカでした。

現在は全て役に立たない特技ばかり。