西南戦争出陣後の状況について考察してみました|2月19日に関する考察
西郷南洲翁の西南戦争出陣後の状況やどのような時を過ごしたのかについて、考察してみました。西南戦争の2月19日について、雪の進軍について解説をしています。
西郷南洲翁の西南戦争出陣後の予定とは?
2月18日に加治木の鍋屋森山家を朝8時に出立し、
溝辺で休憩し、2時頃、
横川麓の横山元右衛門宅に泊まり、
夕方からの大雪の為に早めに宿泊。
2月19日朝8時に出立し大口に向かう予定が降雪が深いと報告があり、
経路を変えて栗野麓原田六左衛門宅で休憩し鶏を食べて出立し、
2時前に吉田の東郷熊助宅に宿泊する。
降雪により進軍が遅れてる為に、
明日の朝の出立で人吉まで進軍するには距離の長い行程を早目に休んだ。
明日は朝の出立が6時半で人吉まで進軍する予定。
西南戦争出陣後は大雪だった?
50年振りの大雪の状況とは如何なる天候と降雪であったか。
この年、49歳で自決する西郷南洲翁以下の方々にとっては過去に一度も経験体験したことの無い状況の中での、武器弾薬兵糧冬装備し、大軍を1日も早く鹿児島から出国させ、次々に準備万端整えてる政府相手に、何の見通しも予定も無く進軍せねばならない辛さや憤りを、腐った政府に一矢報いるだけで、これから、いつ何処で合戦に成りかも政府の出方次第でした。
映画で「雪の進軍」と歌われた八甲田山での雪中突破は、正しく、今の薩軍そのものでした。
ぬくぬくと暖房での豪邸で、企画準備実行してる方々には、想像も出来ないしない現状が有りました。2隊に分けて進軍してる薩軍各々に1万五千人を収容出来る設備や施設がある訳も無く、武家屋敷や民家農家や牛馬小屋等々でも全く足りず、殆んどは1m積もった場所の雪を取り除き、野宿夜営天幕宿営でした。2時に宿泊し、8時や6時半に出立するのは1万からなる兵の宿泊準備や前方偵察状況把握の為に早く宿泊準備し、朝一から少しでも前に進み、西目の薩摩街道を進軍してる隊との熊本川尻での合流の為でした。
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